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2020年1月24日 (金)

ヒルカニアの森林群

2019年に登録された、イランの世界自然遺産です。

イラン北西部に位置し、カスピ海の南部沿岸に850kmにわたって続く森林地帯に15の構成資産があります。
伐採等により森林が急速に失われているカスピ海沿岸地域においてこの地域の原生林は非常に貴重なものだとか。
その植生は多様で、温帯林や湿地林、混合林の他、高山帯やステップ、砂漠地帯もあるので、280種もの固有種や固有亜種の植物が見られるのだそう。
その多様性はイラン国内においても群を抜いているようで、イランで見られる維管束植物の44%がこの地に集中しているんだとか。
尚、イラン国土におけるヒルカニアが占める割合はせいぜい7%程みたいです。
こうした植生は動物相の多様化にも寄与しており、ペルシャヒョウを初めとした様々な動物の住み処になっているのだそう。

以前にアゼルバイジャンが文化遺産として申請していましたが、「登録延期」決議が出されていました。
今回、イランが申請したのは、自然遺産としてで、その生態系が登録基準を満たしていたという事で、登録されました。
その際、将来的にアゼルバイジャン側にも拡大し得る案件である事が示唆されています。
その場合、まず、自然遺産への登録からでしょうが、文化遺産への登録も認められて、複合遺産となる可能性も0ではないのではないでしょうか。






先日、映画に行ってきました。
2か月振りだね…まぁ、学生の頃より映画に行く回数増えたなぁとは思います。
で何を観て来たかと言うと…

20_1_19_fvf
フォードVSフェラーリ。

世界三大レースのひとつにして、世界三大耐久レースの1つであるル・マン24時間レースを題材にした映画です。
ジャンル的にはドラマ映画と言うのでしょうかね。
話の流れは史実に即してるやつ。

今回はル・マンの中でも、1966年に行われた34回大会に焦点が当たっています。
このレースでは、それまで6連覇中だったフェラーリを下し、アメリカの自動車会社・フォードのマシンが123フィニッシュして表彰台を独占した時のもので、3台が並んでフィニッシュラインを通過したという象徴的なものでした。
因みに、アメリカ車によるル・マン優勝はこの時が初めてでした。
今回の映画は、フォードはモータースポーツに関与してブランド力向上を目指し、フェラーリを買収しようするも失敗。直後にイタリアの自動車会社・フィアットがフェラーリを買収するという発表がなされ、フォードはル・マンでフェラーリを破って見返してやろうとして頑張る話です。
劇中では直後のような描写でしたが、実際に買収されたのは1969年の事。
まぁ、発表は数年前にしてても不思議じゃないんで、何とも言えないんですが…。


で、今回の主人公は1959年のル・マン勝者(アストンマーティンに唯一のル・マン優勝を届けた人)の元レーサーで、カーデザイナーのキャロル・シェルビーとメカニック兼テストドライバーのケン・マイルズ。

シェルビーは「シェルビー・アメリカン」という会社を持っており、史実ではフォードの副社長であるリー・アイアコッカと非常に親密だったようです。この関係から、良くフォードの仕事を請け負っていたようです。
第二次世界大戦ではアメリカ空軍に所属していたようで、劇中でも「B29を操縦していた」と言いながら小型機を操縦する様子が描かれています。また、F1にも参戦していた経歴があるようですね。
いやぁ、知らない人でしたわ。

マイルズは日本語版Wikiのページがない程の人なので、尚更。
劇中では40代のようで、結構歳行ってましたね…モータースポーツデビューが今と比べて遅い年齢から始まる当時においても、結構高齢な方なのではないでしょうか。
まぁ、ハコ車レースなんかは特に、今でも30代40代それ以上でも第1線で活躍しているドライバーが沢山いるので、マイルズのようなドライバーがトップドライバーだとしても、驚きはないかなぁ。
そんな彼もデイトナ24時間やセブリング12時間等の著名な耐久レースに勝ってきているし、ル・マンウィナーであるシェルビーの目に止まっているのだから、紛れもないレジェンドドライバーなんだと思います。
1966年のレースでは優勝できなかったけど、大部分でトップを独走していたようですしね。
劇中だと3台が並んでチェッカー受けてたけど、実際には1号車(ケン・マイルズ/デニス・ハルム組)と2号車(ブルース・マクラーレン/クリス・エイモン組)が並んで、5号車(ロニー・バックナム/ディック・ハッチャーソン組)がその後ろにいたみたいで。
マクラーレンがチェッカー目前で誤ってマイルズを抜いてしまい、優勝してしまったとかで。
むしろ、3台並んでたのは翌年のデイトナ24時間におけるフェラーリみたいですね。


さて、映画の内容的には、凄くエンジン音が良い映画でした!
同じタイプのモタスポ映画で、ニキ・ラウダとジェームス・ハントによるF1チャンピオン争いを題材にした「RUSH」があるけど、そちらと比べるとやや専門性が高い話が多かったかなって印象。特にル・マンや耐久レース系の知識が必要な気がします。
ル・マンが行われるサルト・サーキットのレイアウトやセクションの名前、ル・マン式スタート辺りは劇中でも説明されていたけど、唐突に出てくるパイクスピークとか、デイトナとか、セブリングとか、NASCARのクルーだからピット作業が早いとかは知ってる人じゃないと分からんよなって…w
でも、勿論、人間模様もしっかりと描かれていて、そういったドラマ性も面白かったので、そういった知識がない人にでもある程度はオススメはできると思った。


エンジン音と並んでモタスポファンとして嬉しかったのが、往年のレジェンドドライバー達の名前がめっちゃ出てくる所。
ダン・ガーニー、リッチー・ギンサー、フィル・ヒル、マリオ・アンドレッティ、ブルース・マクラーレン、クリス・エイモン、デニス・ハルム、ロレンツォ・バンディーニ…。
…ロニー・バックナムは出てこなかったかなぁ。
バックナムはアメリカ人ドライバーで、1964年~1966年にかけて、ホンダのドライバーとしてF1に参戦していました。尤も、セカンドドライバー待遇でしたが。1966年~1971年までインディ500にも参戦していたとの事。

ダン・ガーニーは序盤のレースシーンに登場した、最初のビッグネームかも。ル・マンのシーンにもいました。接触してクラッシュしてましたが…。
ガーニーはアメリカ人ドライバーで、F1、インディシリーズ、NASCAR、ル・マン等様々なレースで活躍し、勝利を挙げています。F1チャンピオンは取った事ないけどね。
彼はリアウィング等に取り付ける小さなフラップ「ガーニー・フラップ」の生みの親だったり、初めてフルフェイスヘルメットを着用してF1レースに出走(1968年オランダGP)したり、スポーツ史上初めてシャンパンファイトを行ったり(1967年ル・マン24時間)した人です。
また、レーサーで唯一アメリカ大統領候補に選ばれたりもしているようですね。
因みに、ガーニーがル・マンで優勝した時のパートナーは同じアメリカ出身のこれまたレジェンドドライバー、A.J.フォイト。インディ500最多優勝タイの記録を持ち、佐藤琢磨も所属したインディカーのレーシングチーム「A.J.フォイト・レーシング」の創始者。インディカーシリーズのオーバル部門チャンピオンシップトロフィは「A.J.フォイトトロフィー」と呼ばれています。
因みに、インディ500優勝とル・マン優勝を同じ年に成し遂げたのは彼一人だけ。

リッチー・ギンサーもアメリカ人ドライバーで、劇中では名前だけ登場しました。1965年のF1メキシコGPで優勝し、ホンダのF1初勝利を記録したドライバーですので、この時はイケイケの、アメリカでも人気のあるドライバーだったのではないでしょうか。ル・マン出走経験もあるようですね。

フィル・ヒルもアメリカ人ドライバーで、こちらも名前だけ登場。おそらく1964年のル・マンでフォードを駆っていました。アメリカ人初のF1ワールドチャンピオンにして、3度のル・マンウィナーというレジェンドです。因みに、アメリカ人によるF1初優勝を記録したのもこの人。

マリオ・アンドレッティもアメリカ人ドライバーで、こちらも名前だけ。ヒルと同じタイミングで出てきたので、ル・マンでフォードを駆ってた筈。F1ワールドチャンピオン、4度のインディカーシリーズチャンピオン、デイトナ500チャンピオン。
フォイト一族同様、アンドレッティ一族もレーシング一族で、息子や孫、甥と皆レーサー経験者・現役レーサー。息子のマイケルはレーシングチーム「アンドレッティ・オートスポーツ」の創始者で、インディカーシリーズをはじめとするアメリカ国内のレースシリーズやフォーミュラEに参戦しています。
インディカーシリーズのロードコース部門チャンピオンシップトロフィは「マリオ・アンドレッティトロフィー」と呼ばれています。

ブルース・マクラーレンはニュージーランド人ドライバーで、F1ウィナーであり、ル・マンウィナー。レーシングチーム「マクラーレン」の創設者であり、F1参戦中の1963年に設立した「ブルース・マクラーレン・モーターレーシング」を前身としています。シャシーを製造し始めてコンストラクターとして参戦し始めたのは1966年から。
自チームから出走したドライバーのうちの一人。マクラーレンは今もF1で活躍している古豪チームの1つですね。

クリス・エイモンはニュージーランド人ドライバー。劇中では確か名前くらいしか出てなかったけど、同郷のマクラーレンと組んで1966年のル・マンに出走し、勝った人です。勿論、F1にも参戦しています。当時のF1において、最年少デビューを飾り、チャンピオン候補とまで見られていましたが、表彰台登壇こそあれど、優勝はできませんでした。その為、「最強の未勝利ドライバー」と呼ばれる事も。
マクラーレンやハルムと共に、ニュージーランドを代表するレーサーの一人でした。

デニス・ハルムもニュージーランド人ドライバー。劇中では結構唐突に出てたけど、1966年のル・マンにおいて、マイルズのパートナーを務めていました。また、1967年にはF1ワールドチャンピオンにも輝いています。
1968年から引退するまで、友人でもあるマクラーレンが創設したチームからF1に参戦していました。

ロレンツォ・バンディーニはイタリア人ドライバー。劇中では1966年のル・マンにおいてフェラーリのエース的立場で、マイルズの主なライバルとしてクローズアップされていました。
F1優勝は1回だけですが、ル・マン、デイトナ、セブリングと耐久レースを中心としたスポーツカーレースでは非常に活躍していたそうです。
劇中では喋らないし、殺気ムンムンでめちゃめちゃ怖い人みたいな感じでしたが(まぁ、敵対している訳だし…)、活躍していた当時、国民的な人気を誇るドライバーだったそうです。
事故死した彼を追悼する為、「ロレンツォ・バンディーニ賞」なるものが創設されました。これは「モーターレーシングの成績やスピードの速さだけでなく、キャラクターやF1へのアプローチで強い印象を与えたドライバー」に与えられる賞で、基本的には前年に活躍した若手F1ドライバーにチーム贈られるとの事…ですが、チームや関係者に贈られる事も。
この受賞者、錚々たる面々である。マッサもいるしw


さて、マイルズは1967年の新車テスト中にマシントラブルに起因する事故で亡くなっている(息子がテストに同席してた)んですが、そういったものも描かれていました。
1966年のル・マンでトップを競ったバンディーニも1967年のF1モナコGPで事故死しているので、翌年のル・マンには出走できてないんだよね。
マクラーレンも1970年にテスト中に事故死してるし、当時は本当に、ドライバーが良く事故等で命を落としていた時代でした。
当時とは比べ物にならないくらい安全対策が取られている現代においても、事故死はなくならないのだけれどね…。
因みに、ル・マンでマイルズと組んだハルムは1992年のバサースト1000のレース中に心臓発作で亡くなっているから、事故ではないけど。


んで。
ドライバーではないけど、伝説の人…フェラーリの創業者、エンツォ・フェラーリは勿論出てくる訳で。
フィアットの当時の社長、ジャンニ・アニェッリも聞いた事あるくらい有名だし、ヘンリー・フォード2世やリー・アイアコッカも有名な人みたいだね。
ヘンリー・フォード2世は創業者であるヘンリー・フォードの孫みたいですね。
フォードの創業者の名前は憶えてなかったけどねぇ…ここら辺が普通に出てくる所も時代というか、題材的にそりゃそうなんだけど、凄いよね。

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