オスマン帝国発祥の地ブルサとジュマルクズク
2014年に登録された、トルコの世界文化遺産です。
ブルサはオスマン帝国最初の首都だとか。それだけに、歴史的な建造物が多そうですね。
一方、ジュマルクズクは農村ではあるんだけど、ブルサを支えた後背地としての役割があった場所なんだとか。
見た感じは普通の農村っぽく見えるんだけど、人も土産物も多い観光地らしい。
建物何かは中々に面白そうな色・形ですなぁ。
余談ですが、ブルサはヨーグルトを乗っけたケバブ「イスケンデル・ケバブ」発祥の地であり、自動車産業も活発な土地であるとか。
他にも繊維産業や食品加工も盛んらしいよ。
…「イスケンデル・ケバブ」と言いつつ、全然イスケンデルン湾から遠いじゃんw
じゃがバターパイなんてものを食べまして。
パイの中にじゃがバターが入っています。
はじっこからじゃがいもが飛び出していたぜ…w
パイのサクサク感とじゃがいものホクホク感の対比が良いね!
ちょっとバター感はしなかったけど、じゃがいも好きには良いんじゃないか…と思うよ!
こういう意欲作、良いよね!
じゃがバターをパイにしようとか思わなかったしな…。
世界遺産!
日本!!
富岡製糸場と絹産業遺産群!!
蚕の部屋…うわぁ、わんさかいるよぉ…。
完全に繭になっている個体もいれば、繭作っている個体もいるね。
見てる分には面白そうだ…。
へぇ、大正前期とかには横浜からシルクが出荷されていたのかぁ。
20世紀初めは日本が世界最大の輸出国だったとの事。
富岡製糸場すげぇなぁ…。
フランス・リヨンはシルクの街!
それは知らなかった。
ここに日本のシルクが世界を席巻していた証がありました。
「大日本上野国富岡」…って紙に書かれているな。
これはなんだ?
富岡製糸場は群馬県南西部に位置。
数々の災厄乗り越えてきていると思います、多分。
繭を蓄えていた倉庫は全長100m超え!
これが2棟もあるのか…。
規模が伺えますね!
明治5年、江戸時代が終わって5年目にはもう建っちゃったんだ…。
フランス人の指導があったとは言え、凄いわ。
木造の骨組みにフランス式のレンガ積み、見た目はなんだか頑丈そうですね!
糸を取り出す為の棟、柱が1本もないみたいです。
梁を三角組む、トラス構造ってのを使っているからみたい。
広々とした空間を演出していますね。
2階部分にも窓を設置する事によって、電気のない時代に明かりを確保していたようです。
そうか、電気、なかったんだよな…。
おっと、赤城山だ…w(意味深
妙義、榛名…上毛三山…(ぶつぶつ
富岡製糸場ができる前の絹作り、大変そうだなぁ。
富岡製糸場によって、飛躍的に生産性がアップした訳ですね。
フランス・セルドンという村は富岡製糸場用の部品を作っていたんだって。
繭を煮る窯とかも作ってたのかぁ。
…おっ、作業台も日本用の台が作られていたのね。
糸の巻取りとかが自動化され、工女は糸を継ぎ足すだけ。
以前の製法よりも全然楽ですね!
機械を動かす動力は蒸気エンジンだったようだ。
…工場の一角に鉄製のタンクが。
で、でかい。
繭を煮る為に必要な水を確保する為のタンクなんだって。
当時の最先端の造船技術を使っているとか!
地下も近代化の香りが漂っていますね。
繭を煮た水を流す、下水溝が設置されていたみたいです。
大人が屈んで歩けちゃうくらいの高さ。
フランス・リヨンの織物博物館!
ワインのラベルのような紙がスクラップされていますね。
オープニングでも出てきたやつだな…。
チョップ…?
っていうらしく。
これ、世界にコレクターがいるとかなんとか。
ほう、群馬県は今も日本におけるシルクの6割を生産しているんだねぇ。
碓氷…!
あ、いや。
出荷する際につける商標、これがチョップか。
日本のシルクの品質を保証するものとして、明治時代からずっと出荷する際には必ず付けているようですね。
相撲の絵柄とか兜とか恵比寿様とか…各工場が絵柄考えているのね。
外国人の気を引く為なのかw
カイコの研究所。
ここの1℃に保たれた冷蔵室に蚕の卵が保存されていました。
紙に産み付けられていますね。
へぇ、冷蔵保存する事によって、孵化時期を調整できる、と。
では…当時はどうやって調節していたのか。
その答えが、今回富岡製糸場と共に世界遺産に登録された、荒船風穴である。
ひんやりとした、天然の洞窟ですね。
中には夏場でも溶けない氷もあり、大体2℃前後くらいに保たれているらしい。
ここが日本最大級の貯蔵施設だったらしい。
冷気の吹き出し口に石垣を組んで、貯蔵施設を作っていたそうで。
天然の冷蔵室、ですね。
群馬県は元々養蚕が盛んだったとか。
…へぇ、カイコの体が小さいうちは温室で育てるのか。
温室つっても、押し入れか何かを改造した感じのやつだけど。
養蚕は温度と湿度の管理が重要らしい。
成長すると、風通しの良い場所へ移動…伝統的な日本住宅で言うと、2階部分ね。
こういうカイコの飼育法を日本中に広めたのが養蚕の学校、高山社跡。
ここも富岡製糸場と共に世界遺産に登録された場所である。
2階はやっぱり蚕室ですねw
電気が普及していなかった為、火鉢で適温を調整していたとか。
風通しを良くする為、天井は張られてませんね。
そして、屋根から突き出たやぐらは室温が上がった時に使用。
ここから温まった空気を外に逃がしていたとか。
おっと、碓氷峠だ!
シルクを運ぶ鉄道が走った橋を遊歩道にしているみたい。
めがね橋なんて名所があるのねw
明治26年から70年の間、鉄道が走っていた場所である。
鉄道文化むらにて、当時の車両が見学可能みたいです…おっ、車両の下に歯車だ!
アプト式ですね!
この歯車が中央のレールに噛み合うことによって険しい山道も克服できるのである。
この遊歩道、「アプトの道」って呼ばれているんだね!
富岡製糸場の横には検査人館なんてフランス人技師の住宅があるみたい。
貴賓室とかあるんだ…。
建設責任者の館もあるみたい。
立派な佇まいだなぁ。
フランスありきの富岡製糸場だけど、フランスも日本のシルクに期待していたみたい。
というのも、伝染病によってヨーロッパのカイコは壊滅的状態だったから。
フランス・パリにあるパスツール研究所にはカイコの病気に関する研究に使った器具等が展示されていました。
病気にかかったカイコの標本もあるぞ…。
へぇ…ルイ・パスツールさんってカイコの病気の研究もしていたんだな。
世界のカイコを研究した結果、日本に焦点が当たった…みたい。
だから全面的にフランス人が支援していたのね。
富岡製糸場ができて、日本産シルクが世界に羽ばたいた訳だけど、一方で自分で世界進出しちゃった人もいるのね。
富岡製糸場と共に世界遺産に登録された田島弥平旧宅、ここの主、田島弥平さんがその人。
なんでも、カイコの卵を持って海外に飛び出していったそうだ。
末裔が今も住んでるんですね。
屋根に窓をつけた初めての家…なのか!
「今、ちょっとこれボード張っちゃってる訳なんですけど」
…ちょwww
カイコの健康に風通しが欠かせない事を発見したのは田島さんらしいです。
日本の養蚕農家の手本になった家というのが、世界遺産に含まれた要因の1つかね。
田島さん、明治12年にイタリアに渡っているそうで。
田島さんの日記には卵の販売価格が記されてるw
イタリアでの売上は3万5千円。現在の価値で3億円近く…!!
これは凄い!
…あ、ヨーロッパから顕微鏡持ち帰ったりしてたのね。
金色ですけど、高いんじゃないの?w
田島さんはこれでカイコの研究をしていたんだって。
田島さんの功績も勿論、住まいが世界遺産に含まれる要因になったんでしょうね!
最後はどっかの2階ですな。
そして青空をバックに繭が沢山!
続きからコメント返信!
蒼蟲さん:「ヴ」多用に厨二心をくすぐられる…その発想はなかったwww
牛追まつりとかより全然響きが可愛いですよね!
どんなのかは知らないんですけどね…。
ほう、今までそんなに好きじゃなかったのか。
俺的にはメンチとかコロッケ系バーガーは衣がサクサクかどうかが焦点になりまして…。
ビーフって所がポイントなのかなぁ。
使用する肉によって全然違った感じになりますしねぇ…。
成程、イエウサギですか!
…可愛いイエウサギにあんまり可愛くないアナウサギ、か。。
タマゴわざは良いのを揃えているポケモンと揃えていないポケモンがいるんで、ちょっとアレですねw
新ポケモン全体的にはまだまだ…。
クレベース辺りなんかは割と良さそうな気がします。
コメント、ありがとうございました〜!
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コメント
東京ディズニーランドが千葉にあるのと同じ理由じゃないかなぁ?多分違うけど。
ジャガイモの甘いお菓子が増えてるなぁ。
初期の絹製造はとても大変だったそうですね。
自殺者が出るほど...。
今は快適になったものですな。
俺はメンチカツと言えば豚肉の印象が強かったですね。
うちの写真のアナウサギが可愛くないのは後ろ姿で顔が見えにくいからかもしれません。
新ポケモンはタマゴ技の種類が少ないですからね。
旧ポケモンは年々追加されてるだけあって凄くバリエーションが多いですね。
遺伝するつもりがなくても遺伝するほどw
投稿: 蒼蟲 | 2014年7月 2日 (水) 15時33分